パレード

ことばがただパレードしている、そんな場所

今朝飼い犬が亡くなりました

飼い犬の名前は「もも」といいました。

13歳でした。

ちょうど13年前のこの時期に、子犬が産まれた、と当時はじめての教え子に相談され、以前から飼いたかったのでゆずってもらいました。「何色がいい?」というほど色とりどりの兄弟が生まれたらしいのですが、そのときのきぶんで「茶色かな!」といったことで我が家に来たのが「もも」になります。

雑種もよいところで、顔はシェパードのようで、最初は両方立っていたみみは左耳だけたれるようになりました。胴体は柴犬のようで、尻尾は巻いていませんでした。毛並みは柴犬よりも少々長めでした。

 

その当時の勤務先は車で1時間ほど遠い場所でしたので、道中首輪もなく、幼かった「もも」は吐きそうになりながら、途中休憩を3回ほど取りながら我が家に来ました。初めから外で飼うことが決まっていた「もも」は父が作ったぶきっちょな犬小屋には入りたがらず、無理やり母とわたしとで押し込めたことを覚えています。押しこめたらその次の朝は引っ張りだすのにとても苦労したのですが。教え子からはドックフードも一緒にもらい、牛乳にふやかして食べさせてください、とごはんつきで来ました。

 

しかし「もも」はやんちゃでした。散歩の楽しさにすぐに目覚め、知らない地面を探ることに一生懸命でした。毎日散歩に行きました。雨が降るとすこし調子が悪そうでちょっとだけおとなしくなりました。晴れの日は引き算ができるらしく、家にわたしがいることがわかっていると鳴いて散歩を要求しました。散歩は田んぼのあぜ道、土手、など。半径5km以上外には病院に行くとき以外、出たことがないのでした。車は大好きだったけれど、車で200mも移動すると吐いてしまうもので。吐く前には必ず運転手の膝に乗ってきて視界を遮るところに座った挙句吐くのでした。年に1回の予防接種もちょっと長めの散歩を兼ねて、片道30分一緒に行きました。へびは苦手でした。バッタが好きでした。秋には田んぼにむらがる「いなご」を食べてしまい、大量に食べてしまって後で吐いていました。

 

くいしんぼうな割合に、なかなか太ることができませんでした。だいたいがビニール袋から出てくるのがおやつでしたので、ビニール袋の「かさかさっ」という音にとても敏感になり、よだれまででる始末でした。だめとは思いつつも、甘いおやつを食べさせたりすると、「なにこれ!?うまい!」と顔に書いてあるかのように、とても表情が豊かでした。

 

脱走もよくありました。お盆の夜に結んでいた鎖が切れてしまい、真っ暗になってからいなくなったことに気がついて家族総出で探しまわりました。耳の良い妹が遠くで泣き声を聴いてそちらにいきましたら、遠くハウスのくいに鎖がからまってまったく身動きが取れない状況になっており、鎖をはずして抱きしめたらめったに人の顔を舐めない「もも」がぺろぺろとわたしを舐めてきました。

 

散歩途中にときどき「もも」相手に愚痴を言いました。「もも」は何も聞いてませんよ、というそぶりで土のにおいをかぐことに一生懸命でしたが、わたしがしゃがみこんでめちょめちょと泣くと、そういうときにはやっぱりわたしを舐めるのでした。

 

お手、おすわり、おかわり、ふせ、「ごろん」をすることができました。ふせ、の態勢から「ごろん」と寝転がるのですが、だいたいおやつをあげるときには「お手」から「ごろん」が1セットで最終的に「もも」は寝ながらジャーキーなどをほおばるという行儀の悪いことになるのでした。

 

固いものが大好きで、豚骨なんてあげた日には鼻を鳴らして喜びました。しかし食べるとうんこがかたーくなってしまうらしく、うんこ態勢になってからしばらくたっても出ず、「くぅーんくぅーん」と鳴くもんなのでかわいそうでかわいそうで、どうにかしたこともあります。そうそう、体調がいまいちだと草を食べるんですが、それもうんことうんこの間に草がまじっていて肛門からぷらーんとうんこが垂れ下っている状態になってそれも「くぅーんくぅーん」と泣くもので、そのときもどうにかしました。

 

好きなものは「もち」でした。炭水化物が好きで、パンも大好きでした。

 

3月末からだんだんと弱っている面が多くなりました。食べ物の好き嫌いが激しくなり、立ち上がることに時間がかかるようになりました。4月下旬ころ、散歩途中に頭から転ぶことがあるようになり、5月中旬から立てなくなりました。立てなくなると床ずれとの戦いになりました。

歩けなくなってからも、散歩に行こうと、カートに乗せていつもの散歩コースにも行きました。しかし車輪の上であることと、いつもの目線とは違うことで怖くて泣いてばかりいました。

 

去年の東日本大震災のとき、うちは丸2日停電になったのですが、3月11日の夜にも散歩に行きました。地上には何一つ明りがなく、星空がとてもきれいだったことを覚えています。地震時、「もも」はうろうろするばかりで、その後は周囲の様子をうかがうように、じっと静かにしていましたが、散歩に行くよ、となるとひかえめに、しかしとても楽しそうに尻尾をぐるぐる振りました。

 

よく雪が降る中、わたしは散歩に行くときに死んだふりをしました。雪道なので、突然道中前のめりで倒れても痛みを感じないので、先ゆく「もも」の後ろで「うっ…」なんて芝居をしながら倒れるのです。するとすごく心配した様子でわたしの呼吸を確かめに来て、その後「どうしていいかわからない…」とうろうろしはじめ、最終的に倒れているわたしの上に乗っかり(!)立って途方に暮れる、というコンボ技を繰り出すのが常でした。何回もこの芝居をするとだまされなくなっちゃいましたけどシーズンはじめは忘れているのかひっかかってくれました。

 

そう、思い出しました。「もも」は車のドアを開けられるいぬでした。車庫の片隅で飼っていたのですが、すぐ近くに止めてある車のドアを開けて、その中でくつろぐようになり、わたしの前の車の後部座席でくつろいでおり室内灯がつけっぱなし状態になったらしく、バッテリーがあがる事件が2回起こりました。いなかでよくあるパターンで車のカギはかけていませんでした。バッテリー上がりはつらいので懲りてカギをかけましたら、今度は運転席のドアの取っ手を「もも」は力づくで壊したのでした。ドアの取っ手はないととても不便でした!助手席から乗り込んで運転席に移る、という行動をしないと運転できなくなり、廃車前の車だったんですがあまりの不便さ加減にドアの取っ手修理をしました。約2万円。ももめー!とうしゃうしゃと何度も毛をもじゃもじゃ触って怒ったりしましたが、「もも」は何?なんもしらないよ?なんてとぼけた顔をしていました。やっぱり頭がいいんだな「もも」は、なんて最終的にはおやばか発言で、その後は何度開けられても大丈夫な軽トラックを「もも」が扉をあけやすいような位置に置いておくようになりました。

 

眠りに落ちる前に、もしかして「ねむり」っていう沼があって、それには定員があって、誰かが「ねむり」という井戸から這い出てきたから、わたしがその沼に入ることができて、そしてねむれるのかな、って最近思ったんですが、同じことが「死ぬこと」や「生きること」にもあるのかと思いました。

 

こんなにも命があふれている、緑がまぶしい季節に、死んでいく「もも」。「もも」を形作っていた炭素や水素や酸素や、いろんな元素は今日燃やして空中にまぎれていったものもあれば、遺骨の中に残っているものもあって、それはいずれ土や空気にもどっていって、めぐりめぐってわたしが肺から吸い込んだりわたしの体の一部になったりするのでしょう。

 

ごめんね。もも。苦しかったね。

ありがとう。もも。

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わたしはあなたのことが、とても好きでした。