パレード

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「何者」を読みました。感想。

朝井リョウさん著、「何者」を読みました。

何者

何者

 

いろいろ思い出されてしまって自分を語りたくなってしまって書きます。

わたしは就職活動をしていません。教員を目指す、という名目のもと、しておらず、現役のころにどこにも合格せず、その年は講師登録もする気がせず一年アルバイト生活をしていました。次の年も合格せず、しかしながら地元での講師登録をしてたので運よく時間講師の口があり、働きながらその次の年合格し、今に至ります。

教科によってずいぶんと差がありますが、その当時も少なからずわたしの住んでいる県の教員の採用試験の倍率はありました。採用された年には初任者研修という名で一カ月に2~3度教育センターに集められ、研修を行いました。同期はいろんな人がいましたが、誰もかれも、ずいぶんと鼻息が荒かったことを覚えています。もちろんわたしもそうだったんでしょう。とてつもなく生意気で、目上の方に勇気をもって正論を言えばそれでいいと責任感もなくいうだけ言うっていうめんどくさい感じでした。でも、そんな浅はかな若い、言ってどうする、ってことをさもすばらしいことのようにのたまうわたしをしっかりと怒ってくれる諸先輩方のおかげですこしばかりは「まし」になったような、今の自分があります。

 

採用され何年も経ち、ときどき同期が集まる時、どんどんお互い丸くなっていって、それは性格もだし体格もで、そうだよなあって笑ってしまいます。そして同期の数はどんどん減っていきます。県外の地元に戻った人、病気や何か別の道に進もうと自ら辞した人、休職、育児休暇の人、もしくは人には言えないようなことでこの世界を去らねばならなくなった人。

 

採用年度の当時、同期は夢を理想を熱意を持って語れる人ばっかりでした。嫌味じゃなくて、本当にとてもうらやましかった。わたしはフリーターを1年、そして時間講師(授業を教えるだけ)を1年というあまり責任のない自由な2年を過ごしていきなり現場に採用となって運動部も持ち、もう、いっぱいいっぱいだった。何もしたくなくて、生徒と接することは好きだったけれど自分がやったこともない運動部を持つこともいやでたまらなかったし、自分の地元から離れて言葉も満足に通じないところで(同じ秋田でも相当違うんですよ)子どもたちに小馬鹿にされながら自分に自信もなくて授業することも、本当に情けなくてみじめで、嫌だった。何も理想もなかった。採用試験のときには理学部ならではの視線で!ほとんど教育畑出身の人たちで占められるこの世界に!新しい風を送り込むことができる!わたしは!理科離れが叫ばれている今理科っておもしろい自然っておもしろいを伝えられるのはわたししかいない!専門科目としての理科をしっかり勉強してきている人それがわたし!採用して!して!なんて言ってたけどその時はその時で本気だったんだけれどもいざ実践ってなると全然うまくいかなかった。よく「生徒全員が理科を好きなわけじゃない、自然っておもしろいって思うわけじゃない、一部がおもしろいって思って興味持つだけでもすごいことなんだ」って諭されたけど、そう、理想としては全員だった。

自分のためになることや資格をとること、職業教育、社会に出てから役立つことを教える、くそくらえって思ってた。今も思ってる。新しいことを知る、自分の頭ん中に新しい回路ができる、新しい見方を発見する、それをもとに、今までできなかった予想を立てることができる、何もかも快楽だ。学ぶことは快楽。

 

物質量の計算だって、一生懸命書いた人が聞いていることに耳を澄ませて、それに合うことを求めるってこと。鍵になる言葉は何なのか、目をじっとこらすこと。

そして、伝わったらうれしいし、それが一番お互いのためだけれど、伝わらない気持ちがあるってことですら、幸せなのだということ。最近この境地に立つことがあって、それで今わりと幸せだ。

 

きっとわたしは何者にもなれない。記憶に残るような先生にはならない。

明日にはそう言ったことすら後悔しそうだけど、でもこの仕事はおもしろい。

いろいろわりに合わないことも多いし世間からの厳しい目線もあるけど。

それってまあわたしが運がよかっただけなのかもしれないけど。

でも、おもしろい。