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パレード

ことばがただパレードしている、そんな場所

スクールカーストは相対的なものの見方をする人たちの中にだけ存在する

 スクールカースト撲滅は、日本を救う!?の巻(とてもおもしろい)を見ていろいろ思ったので書きます。

スクールカーストって、ありましたか?ありますか?

わたしはなかったです。でもそれはわたしが幸せな人生を歩んでいるだとかそういうことではなくて、他人との差で幸せをはかるような生き方をしていなかったからっていうのに尽きるかもしれません。

 

順位はどうしたって一番の人とビリの人がでる。それはしょうがない。なので順位として上下することをやりがいと感じていると最終的に誰もほめてくれない世界では伸びていくのが難しい。

 

スクールカースト上位者がおしゃれで校則をやぶり大声で幅を利かせ、下位者が大きい声で笑うのもはばかられる、そんな描写が漫画の「3月のライオン」の中でもありました。

 

あの場面でスクールカーストを形成しているのは誰なのか。たぶん、そのような階級を作ることで満足するしかない、何か焦燥感をもっている自分は上層と思っている層と、そのような階級を作ることでだからわたしの学生生活はつまらないのだ、と思う逃げ場がほしい自分は下位層と思っている層がカーストを形成している。

 

階級を望む人間は確実におり、彼女、彼らは学校を卒業後は次は配偶者、次は子どもの進路や能力により階級が形成しようとします。もし、昔はスクールカーストはあったけれどそれは学校を過ぎれば無くなる、といえる人はそのような人との差においてだけ自らの幸せを感じることができるという層と出会うことのない(幸せな)職場にいるのでしょう。

 

しかし自分と比較してどうだこうだで貶める人にわたしは傷ついたりはしません。それで落ち込んだりもしません。

 

 

 

現場で見ててもないですよ、スクールカーストの実物。

ある!って思ってるのはクソみたいに自意識過剰な自分がいけてると思っていてそれしか価値がないと思っているどうしようもない空っぽな自分が上位層と思っている層とクソみたいに自意識過剰な自分は本当はいけてるのに今は虐げられている本当の自分はこんなんじゃないって思っている層の中。まあ自意識過剰なのは彼らの特権であるのでそれなりの人数がそこにとらわれるけれど、そんな自意識捨てしまうしかないのだ。