わたしはなまっている
ふと気がつくと標準語を話す人相手にもなまっている。
子どものころはそんなことぜったいしないだろうと思っていたのに。
秋田に生まれて進学して4年半が県外、それ以外をずーっと秋田ですごしていてでも子どものころからどうして大人はこんなになまっているのだろう秋田県人にしか通じないような言葉で話すのだろうとふしぎでたまらなかった。
自分自身は大学時代はどこの人かわからないようないわゆる標準語を話していて、で、それでどこの人かわからないねっていわれることをよしとしていた。
進学したところはやっぱりどこかの地方で、その辺の地方出身者が集まるところだったけれど女の子はそれなりに標準語を話している一方で男の子は地元の言葉まるだしでかわいかったりいけてないなあと思ったりそんな感じで社会人になってもそれは続いた。
同い年の男の子や年上の人が地元以外に行ってもなまりが消えないのがふしぎだった。だって消そうとすれば消せるのにと思っていた。
しかしながらこの年になると消せないものだなあとしみじみ実感している。
県外出身者と話をしていても、誰と話をしていても、わたしはなまっているのだ。
今使っている言葉が等身大すぎてそれと同じ意味でどう表現するのかがとっさにでてこない。あーこれぞ老化であるのかこういうしくみであったのか。
最近言おうとして代わりがない言葉が
「なんもそれだばぶじょほで」
です。標準語に通訳すれば
「そのようなことですとあまりにもあなたさまに対して失礼ですから…」
っていう意味ですけどこのニュアンスが!空気が!つたわらねえよ!っていう。
「まんじなーけさだばきゃんどぽんぽじんしていんしなー」
とかそういう言葉でお互いぽかぽかしたい。明日からは大雪らしいんだけど。