ホッチキスの針は突然なくなる
ホッチキスの針って突然無くなるよなーって。
書類閉じてて、ホッチキスの針がなくなるときに、毎回思うの。
ホッチキスの針って突然無くなるよなーって。
まあホッチキスの針側としては突然じゃねーよって言う。
ひとつ閉じられるごとにひとつなくなっていくわけだし。
でも、こちら側は
「突然!?」
って毎回。
毎回思う。
そのときの衝撃をやわらげるために、多めに針を入れるんだけれど
でも災害(災害?)は忘れたころにやってくる。
「…!今!?」
みたいな。
あの
っていう跡だけを残して、何も閉じられていない、ばらばらになった、そのもの。
それがいやで、こちらとしては気を使ってホッチキスの針が間に合ってるかしら間に合ってないかしら足しておこうかしらどうかしらとかやりながら、腹いっぱいだよとか言われながらホッチキスの針を足してるのにもかかわらず突然やってくる、
あの。
ないよ
っていう。
「すかっ」
同じようなのに視力の悪い人だったらわかると思うんですけどコンタクト洗浄液。
こっちはホッチキスとは違って死活問題。
10年以上お世話になってるんだけど液体系の物質の中では1、2を争うほどあとくされがない。付き合うならコンタクト洗浄液みたいな人がいいと思うほど、ない。
だって
「あと1回分くらいあるかなー」
って思うと、
ぜーったい、
ない。
1回分ない。
レンズが干からびる程度しか、ない。
重さ?
一回分、ひとつひとつなくなったホッチキスの針の重さをこっちが感じる程度の重さだったなら、たぶんあと一回だなーって思うんだろう。
同じくコンタクト洗浄液も。
でも、ホッチキスの針も、コンタクト洗浄液の1回分も、
それを感じ取れない重さ。
これくらい大丈夫だろう、あと一回分くらいあるだろう、っていう、重さ。
もうさ、叫んでくれ、言ってくれ、あの、声高に叫ぶことって大切だよーって、言いたい。
わたしはここにいまーーーーす!もうたりませーん!
っていう。
彼女たちの時代じゃないけれど、全力でさ。
お願いだから声高に主張してほしい。頼むから。
でもわたしの指ではホッチキスの針があと残り1つだって気がつかなくてね。
気がつかなくてつい
「すかっ」
っていう。
言い訳すれば、ホッチキス職人じゃねーし、って思う。
全知全能じゃない自分のふがいなさを思ったりするのであった。ごめんねホッチキス。
それを貧しさというならずっと日本の底辺層は貧しい
奨学金って返さなくてはいけないお金なんで返せない人は最初からもらわないほうがいいってのが徹底できないのはろくな就職ができなかった(しなかった)人たちがしていることで、そういう世代であってもちゃんと返しているのが大多数。
自分も日本育英会から借りていないので返しました。そこからだったら全額免除だったのに。
写真に意味はありません。
奨学金返せず自己破産、40歳フリーター 月収14万円「283万円払えない」 (qBiz 西日本新聞経済電子版) - Yahoo!ニュース
上の例は極端。何のために大学に行ったかも不明確。
大卒後もそれなりに稼げる仕事に就かない限り借金は返していけないです。卒業後の進路に関して夢みたいな霞を食べるような仕事は選択肢に入ってきませんでした。少なくとも借りた分の奨学金(借金)をこつこつ返していけるところ、って選びます。なのでたとえば図書館司書だとかのもともとのパイの小さいところを大学入学時時点で目指している時点でおかしい。得てして本読むのくらいが大好きで勉強しかできない子ってそういう道を歩もうとするじゃないですか自分もそんな感じでしたがまあ図書館行くだけでおなかを壊すのでその方向に行かなかっただけってところもありますが。
自分の教え子が奨学金に頼りっきりの進学をしようとしている場合理屈詰めで
「入学前の納入金がこのくらい、支払うのに奨学金を当てにしないでほしい」
「で、入学後の一年間の納入金はこれくらい、1ヶ月生活費このくらいそして将来これくらいの借金を背負って無事就職が決まって働き始めたら毎月これくらいの返済に追われていきますけれどもそれでも進学でいいんですよね!?」
ってかなり問い詰めるんですけど(実際はもっともっとやわらかい表現です)まーなかなか伝わらない。
「なんとかしますから」
とか言うわりにどういうわけか教育ローンも組めない断られ入学前の納入金が払えないってのがあるんです。で、せっかく決まった学校を辞退してそこから就職活動に向かうっていう。誰も幸せにならないのに、それなんでそういう経済状況であることを把握できなくてそれを子どもに言わない、言えないのが理解不能ですけどあるんです。不幸にも、ある。
この仕事に就いたとしても、この学校入ってこの資格が取れて無事この仕事に就けたとしてもお子さんは奨学金を自分で返しながら一人で暮らすってのは無理だと思いますよ、ってところまで伝えるようにしています。高卒で、専門学校卒で、短期大学卒ではそういう仕事ばかりです。卒業後実家から通うもしくは寮生活で仕事をするのであればやっと奨学金を返済していける。一人暮らしであれば働いていたって親の援助なくては生活できないくらいですから親が返還の場合も多いでしょう。
学ぶ意欲も働く意欲もない人たちがいろいろ言ってる、そういうのがクローズアップされる時点でそういう意欲のない人たちの進学をシャットアウトできていない現場の責任もすごく感じます。高卒を育てようとしない(使えないと言ってすぐに辞めさせる地方製造系)現場もある。結局どこでも未熟な、学ぶ意欲も働く意欲もない子たちを引き受けてくれるところがない。でもそういう人たちが声高に学ぶ機会の均等だとか言ったら笑ってしまう。そこに与えてどうするっていう。
国公立であったら経済的にきついなら授業料免除がある。教員になれば日本育英会の奨学金は免除になる。防衛大学校なら給料までもらえる。お金のために志望校は絞られるし将来の仕事も狭まる。与えるならそこらへんレベルの学力を持ってる人、そこまで能力があって努力できる人に、でしょう。
つぶしの利かない学問を学びに行くことは道楽です。それを許す経済状況があってやっと行ってよいものです。そんなことは昔からそうです。
だいたい日本の地方国公立レベルの文学部だとか理学部だとか卒でなんかとりえとかあると思ってますか。ないです。経済状況さておきそういうところで学びたいのならば犠牲を払うしかないです。それを貧しさというのでしょう。だとしたら昔から今まで、ずーっと日本の底辺層は貧しい。
写真には意味はありません。
でも上の写真も下の写真も右利きっぽい写真だなあと反省。
日常がわたしを救う
「先生、いぬ、好きですか?」
もしかして子犬が産まれて飼ってくれっていう案件(いぬはあまりないけれど、ねこはしょっちゅうある)かしらと警戒しながら
「…とても好きだけれどもう当分飼えないよ…」
というと、その子は涙目で
「うちの犬が昨日死んだんです」
っていう。
ああ。
もも、を思い出す。
写真は、もも。
「幸せだったのか、わからなくて」
「うちで飼われてよかったのかなって」
「ごはんを食べられなくなったらあっという間で」
「今日授業中もそのこと考えたらもう涙が止まらなくて」
うん。
うん。
一緒に泣く。
ひさしぶりに、もも、を思い出す。
もも、は幸せだったのかなあ。
でも、わたしはももと一緒でとても楽しかった。
わたしは彼女を、とても好きだった。
それ以外、何もないのだと思う。
あのときのひりひりした気持ちがよみがえって、目の前に女の子が泣いていて、うん、うん、いいながら一緒に泣いて、そんな日常がわたしを救う。
もう2年以上前になる。
子どもを人質にとる親たち
自分の子どもを人質にとる親がいるのよ。
あれです。
「うちの子が(このような問題行動をする。家には何も問題もない、だから学校が主原因である。そういうことをおおっぴらにすることになりますよね)いいんですか!!??」
ってやつ。
続きを読む十七歳の最後の旅
十七歳の最後の旅と気づいたらさみしい。
「先生って何回修学旅行行ってるんですか?」
「いいなあ」
いいもんでもない。朝早いし眠れないし。毎日睡眠時間4,5時間で3泊4日、トラブルがなければそれはそれで楽しいけれどそれだってわりときつい。ありきたり、真新しいこともない。感動も少しずつ薄れていく。何度目だろう京都。でも。
十七歳の最後の旅、と気がついたら、さみしい。
修学旅行に行って、集合してから帰ってきて見送りするまで、ずっとそう思っている。
十七歳の、最後の不自由な旅だ。
何もかも他人任せの、でも部屋も行動も一人で気ままになんて絶対できない、声高に団体行動団体行動って言われる、子どもの旅。
もうそんな子どもの旅はしなくていい。
気の合わない人と旅なんてしなくていい。
不自由だし、いやだなって思ったら拒否できる。
もう、旅をしないことだって選ぶことができる。
楽しそうにどう散財したのか報告しあう子たちを見てその瞬間から子ども時代が終わっていくにおいがして、とても切なくなる。
帰ったらもう、子ども時代は終わるのだ。
東京オリンピックが決まった直後に高揚した顔で「よーし何か競技とーさんに連れてってもらおう!ってでももしかしてそのとき俺何歳…?」って言ってた子がいた。
そう、もうそんな年になっているのだ。
子ども時代は終わる。泣いても笑っても。
いいじゃない、自由。そして不自由。お金を稼ぐこと。歯車になること。
ようこそ、大人。