パレード

ことばがただパレードしている、そんな場所

救急車を呼べない

今日、仕事だったんですが。
 
日中車で買い出し行ったら道ばたの自転車のとなりに座っているおじいさんがおりまして、どうしたのかなーとそのときはスルーして買い物して帰ってきたら今度はおじいさんが地面に寝転んでいてさすがにこりゃ何かあったと思って車から降りてどうしましたか!?と声をかけたところジェスチャーで胸が痛いそして自分は耳が聞こえないと伝えてきて転んだのか指先が血だらけででも自転車だから近所だよなあどうしようとどうしようと焦っていたら筆談しようという提案がおじいさんからなされ車の中を探しまくったけれどもやしもんのぬいぐるみのついたボールペンと財布の中にあったレシートしか筆記用具と紙がなくはいっと渡したらなにやら必死に3人の名前を書き始めて(…この中の誰なの!?)という気持ち満載になりそうこうしていたら通りすがりの人も車から降りてきて「(車で)ひいたんだが?」と聞かれて否定しつつもどうみてもそうとしか見えないかもおじいさんは説明できないどうしようと思っていたら通りすがりの人が「電話番号!」と提案してきてそうだそうだとレシートの3人の名前の横に「電話番号?」と書いて書いてくれとお願いしたらまさかの首を振り、わからない。で、しきりに指でこういってああいってと道順を指示するのでじゃあとりあえず乗ってもらい、こっちあっちと1分ほどゆっくり車で走ってたどり着いた家の前で降りてもらうとおじいさん玄関先まであと1メートルでうずくまってしまい助けを呼びに行ったところ不信感いっぱいのお母さんが出て来てあれっと思って

「…おじいさんはこの家にいますか?」
と尋ねるとまさかのうちにはおじいさんはいませんと言われてこの人はいったい誰だでもそこにいるんですーと見てもらったところ近所の方だということが判明し、お家に電話連絡して下さることになってじゃあお願いしますと引き渡してきたんだけどその後しばらくたったら救急車の音が聞こえたんだけど大丈夫だったんだろうか。


ああいうとき、最初っからいきなり救急車が正しかったのかもしれないけれどでもあのシチュエーションで呼んだらまさに!おまえが!ひいた!?としか思われないのではないかという自己防衛の気持ちが働いたことが否めない。


もうかれこれ3年以上前になるけれど、真冬にほとんどこれと同じ事があった。


つるつる滑る道路沿いにおばあさんが倒れていて通りかかりだし見ちゃったし他は誰も通らないし車を止めて話をしたんだけれども立てない、家は目の前だっていうんでまず家までわたしが行っておじいさんを呼んできて二人して困ってなんだったらわたしの車で家までと立ってもらおうとしても立てないそこでおじいさん携帯持ってないからわたしが救急車を呼んだんだけど。
 
つるつる滑る道路→倒れているおばあさん→車の人が電話する→…ひいた?
 
って救急隊員の方含め見られている気がして結局連絡先も何も言わずおばあさんがどうなったかはわからずじまい。
 
 
今回もだし、あのときも、おじいさんやおばあさんが「この人がひいた」って言ったら信憑性あるよなあ。
 
 
あとやっぱりああいうときにすぐさま救急車とか呼べないものだなあ。
休日とはいえ生徒残してたりの買い出しだったんで仕事っちゃ仕事なんでなあ。
今日のおじいさんは胸が苦しいというジェスチャーをずっとし続けていた。
大丈夫だったのだろうか。
どうすれば一番良かったのだろうか。