日常がわたしを救う
「先生、いぬ、好きですか?」
もしかして子犬が産まれて飼ってくれっていう案件(いぬはあまりないけれど、ねこはしょっちゅうある)かしらと警戒しながら
「…とても好きだけれどもう当分飼えないよ…」
というと、その子は涙目で
「うちの犬が昨日死んだんです」
っていう。
ああ。
もも、を思い出す。
写真は、もも。
「幸せだったのか、わからなくて」
「うちで飼われてよかったのかなって」
「ごはんを食べられなくなったらあっという間で」
「今日授業中もそのこと考えたらもう涙が止まらなくて」
うん。
うん。
一緒に泣く。
ひさしぶりに、もも、を思い出す。
もも、は幸せだったのかなあ。
でも、わたしはももと一緒でとても楽しかった。
わたしは彼女を、とても好きだった。
それ以外、何もないのだと思う。
あのときのひりひりした気持ちがよみがえって、目の前に女の子が泣いていて、うん、うん、いいながら一緒に泣いて、そんな日常がわたしを救う。
もう2年以上前になる。
子どもを人質にとる親たち
自分の子どもを人質にとる親がいるのよ。
あれです。
「うちの子が(このような問題行動をする。家には何も問題もない、だから学校が主原因である。そういうことをおおっぴらにすることになりますよね)いいんですか!!??」
ってやつ。
続きを読む十七歳の最後の旅
十七歳の最後の旅と気づいたらさみしい。
「先生って何回修学旅行行ってるんですか?」
「いいなあ」
いいもんでもない。朝早いし眠れないし。毎日睡眠時間4,5時間で3泊4日、トラブルがなければそれはそれで楽しいけれどそれだってわりときつい。ありきたり、真新しいこともない。感動も少しずつ薄れていく。何度目だろう京都。でも。
十七歳の最後の旅、と気がついたら、さみしい。
修学旅行に行って、集合してから帰ってきて見送りするまで、ずっとそう思っている。
十七歳の、最後の不自由な旅だ。
何もかも他人任せの、でも部屋も行動も一人で気ままになんて絶対できない、声高に団体行動団体行動って言われる、子どもの旅。
もうそんな子どもの旅はしなくていい。
気の合わない人と旅なんてしなくていい。
不自由だし、いやだなって思ったら拒否できる。
もう、旅をしないことだって選ぶことができる。
楽しそうにどう散財したのか報告しあう子たちを見てその瞬間から子ども時代が終わっていくにおいがして、とても切なくなる。
帰ったらもう、子ども時代は終わるのだ。
東京オリンピックが決まった直後に高揚した顔で「よーし何か競技とーさんに連れてってもらおう!ってでももしかしてそのとき俺何歳…?」って言ってた子がいた。
そう、もうそんな年になっているのだ。
子ども時代は終わる。泣いても笑っても。
いいじゃない、自由。そして不自由。お金を稼ぐこと。歯車になること。
ようこそ、大人。
高卒求人に求められること
こないだ沖縄行ったとき、宿泊先のフロントで働いていた人がすべて中国系の人だったんです。
お客さんも中国、韓国からの旅行の方が多くて、英語を話す方も多かった。まあだからかなあとは思いました。フロントの方は流暢な日本語で対応してくれましたし、英語も、中国語ももちろんできていました。
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大曲の花火で花火写真に挑戦したんだけれども
今週のお題特別編「はてなブログ フォトコンテスト 2014夏」
8月23日(土)は大曲の花火。
バルブ撮影も初めてで
今日から出来る!ステキな花火の撮り方 入門編(一眼レフ、ミラーレス) | studio9
こちらを参考にして挑んだ。
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